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主に資格取得や考えてる事、感じた事を綴って行きます。

あなたは能動的ですか?受動的ですか?

ネットを利用してると面白いコンテンツが沢山転がっていて、時間感覚を失って取り組んでしまう。
利用するコンテンツによっても違うだろうけどこれは能動的にも見えるし、受動的にも見える。
自分の意思で情報を拾ってるのだから能動的だろうという見方もあるだろうし、一方的に提供される情報の受け手になるのだから受動的だろうという人もいるだろう。
個人的な体感から言わせてもらうならば、受動的か能動的かはコンテンツによって違うが、そこで経験した事や知った事は記憶の定着率が低い、と感じる。
記憶というのはその時の負荷によって定着率が変わるのだという事を何かで読んだ気がする。
ネットは簡単に何でも調べれるし、科学的な論拠も載ってるし(真実かどうかはまた別)情報を得る手段としてはそれほど負荷のかかるものじゃないと思う。
これは何を意味するのだろう、面白いのはわかるが自分にとって果たして為になる時間なのだろうか?
自分の利用する目的によっても違うだろうが、少なくとも何かを学習する場としてはあまり適していないような気もする。
エンターテイメントとして楽しむ時間としては最適?かもしれないが、それにしたって定着率が低いのでは何か物悲しい。
ちょっと前に、ネットからはヒーローが生まれないという発言をされた方がいました。
私はこの意見を聞いて、「あ、ちょっと見当違いをされてるな」と思いました。
思うに、ネットというのはクチコミや調べ物、コミュニケーションの場、つまり情報伝達の上位互換のようなものなのだと個人的には認識していたからです。
先ほども書きましたが、ネットは負荷が弱いので学習の定着率が低い、ヒーローを生み出す装置ではないのです。
人が強くなる時、成長する時というのは継続的に強すぎず弱すぎずの適度な負荷がかかる環境や時期に身を置いた時だと思うんです。
例外的にネットでヒーローが生まれる事はあるかもしれませんが、そんな人っていましたか?
天才や著名人がネットを利用して自己マーケティングするケースはあるかもしれませんが、その人達がネットで成長をしたのか?というと
私はそうではないと思います。
ネットという一種の舞台のようなもので、現実と向き合って成長した方々がお披露目をする事はあります。
人はあくまでも現実の上に立脚して生きてるわけで、生活があって、働いて、衣食住があって、そこで初めてネットを利用する事もできるのです。
そこは認識しなくてはいけない所なんではないでしょうか?